ちーバル×千葉氏コラボ

ちーバル×千葉氏コラボ開催!

 

ちーバルは千葉駅周辺の6つのエリアでお店をハシゴし、「食べたり飲んだり」を楽しむバルイベント。

今回はバルに先駆け、2024年1月20日に千葉市中央公園にてちーバル参加店舗のキッチンカーや屋台が出店するグルメフェス(2024年1月20日 11:00~20:00)を開催します!

グルメフェスでは、毎年恒例の千葉氏とのコラボ企画を開催!

 

① 千葉氏グルメを楽しもう

千葉のまちの礎を築いた千葉氏一族が活躍した平安・鎌倉時代から使われている調味料「醤(ひしお)」をソースに使った千葉氏バーガーを販売します!

 

醤(ひしお)とは…
麹と塩を使用した古代の発酵調味料で、千葉氏が活躍した平安時代から鎌倉時代にも調味料として用いられました。形状は味噌のようですが、味、風味は醤油に近いです。

 

 

②千葉氏関連グッズ

※写真はイメージです

千葉氏のデザインが描かれたオリジナルビールを販売します!ビールは千葉市内のクラフトビール製造会社と協力し、千葉氏等のラベルが貼られたちーバルだけのオリジナルビールとなっています。

ビールはバルイベントでも各店舗で味わうことができます。

ラベルデザインは3種類!全種類集めたくなるかもしれません。

 

※「千葉氏×ちーバルコラボビール」は都合により販売中止となりました。

 

③クイズに答えてオリジナル缶バッジを作ろう!

フェス会場では、特別ブースを設置!千葉氏に関するクイズに答えると、ここでしか手に入らないオリジナル缶バッジが制作できます!

※写真はイメージです。

 

さらにバルでも千葉氏コラボを実施!

グルメフェスのほか、バルイベント(2024年1月23日・24日、30日・31日)では千葉氏×ちーバルコラボビールの販売に加え、参加店舗でお食事をお楽しみいただき、お帰りの際に千葉氏オリジナルチロルチョコがもらえます。

お口直しに丁度よく、気軽に次の店へ足を運ぶことができます。

 

千葉氏とは

平安時代後期の1126年、千葉常重(つねしげ)が現在の緑区大椎町から現在の中央区亥鼻付近に本拠を置いたことにより、千葉市のまちとしての歴史が始まったと言われています。
2年後の2026年は、1126年の千葉開府から900年となります。

①千葉のまちの礎を築いた一族

千葉氏は、桓武天皇の血を引く関東の名族です。平安時代後期の大治元(1126)年に、千葉常重が現在の中央区亥鼻付近に本拠を置いたことにより、千葉市の都市としての歴史が始まったと言われています。常重の子、常胤は千葉氏の中でも活躍した人物です。

②鎌倉幕府成立に大きく貢献

治承4(1180)年、石橋山の戦いに敗れ、房総に逃れてきた源頼朝を、常胤はいち早く助けました。鎌倉を本拠とするよう進言するなど、常胤は一貫して頼朝を支えました。頼朝も常胤を父のように慕っていたと言われています。常胤は鎌倉幕府の成立に大きく貢献した名将だったのです。

③全国に広がった千葉氏

常胤は息子たちと共に大きな功績を挙げ、東北から九州に及ぶ全国に領地を獲得しました。これらの所領は息子たちに引き継がれ、千葉氏は全国に広がっていきました。

 

「月星紋(つきほしもん)」とは?月星紋は千葉氏の家紋です。

月や星といった天体をかたどったものです。
天体は光を与え、満ち欠けを繰り返すという、霊力を備えた不思議な存在として信仰の対象でした。
千葉氏は北極星や北斗七星を神格化した「妙見(みょうけん)」を信仰していたため、月星紋を家紋として用いました。
なお、千葉市の市章は、月星紋と「千」の文字を組み合わせてデザインされています。

 

千葉氏ゆかりの千葉市内名所

猪鼻城跡(千葉市中央区亥鼻)

鎌倉時代に著された『源平闘諍録』には、千葉氏の本拠として「重代相伝ノ堀内」としての「千葉館」について記載されています。南北朝時代までの武士の館は低地上にあるのが一般的とされていますが、有事の際には、この亥鼻台地が立て籠もるための「詰めの城」として機能したとも考えられます。
いまのところ、千葉氏の館の所在地は明確になっておりませんが、かつて方形の堀・土塁に囲まれて「御殿跡」と呼ばれた現千葉地方裁判所の場所を比定地の一つとする説もあります。

千葉神社(千葉市中央区院内)

常重が大治元年(1126)大椎より千葉に居館を移したとき、先祖より伝わる妙見菩薩をこの地に運び、妙見宮を建立したと伝えられています。一説には、治承4年(1180)、源頼朝が鎌倉へ向かう途中、常胤やその一族とともに参詣したともいわれています。千葉氏が各地の所領に移住する際、館や城の近くには必ず同社から勧請した妙見宮を建てて祀っていました。

君待橋(千葉氏中央区港町)

君待橋の名は、一説には治承4年(1180)9月、常胤が一族郎党を引き連れ源頼朝をこの橋で迎えたことに由来するとされています。
君待橋は、今の都川にではなく、この石碑が立っている近辺の小川にかかっていた橋でしたが、現在は暗渠となっているため橋はありません。

お茶ノ水(千葉市中央区市場町)

猪鼻城跡のふもとにあるお茶の水は、常胤がこの泉から湧き出る水でたてたお茶を頼朝に勧めたことに由来しています。ただし、当時はまだお茶が普及していなかったので、湧水を差し出したのではないかともいわれています。